先週も世の中いろいろあったけどまだ脳内で整理ついてないのは某ップルの楽器プレス映像のアレ。
どちらの路線で行くべきか迷う。
俺は徹底したアンチ某ップル(ていうかアンチ某ョブズ)の立場なので批判する側に便乗したい気持ちもあるし
しかし批判してる側もなんかヤダから逆バリで某ップル擁護もしてみたくもあり。
とはいえ批判してる側を「戦争とかで人がタヒんでも何も言わないくせに楽器が壊されると騒ぐのか 人の命より楽器のほうが大事なのか」とかいうアサッテ方向から批判してる界隈も何かがおかしい。
戦争にも某ップルにも反対してるかもしれないじゃん、なんで「Aを批判するということはすなわちBを全肯定することである」とかいう極論でしかモノ考えられない奴ばかりSNSでは声がデカイんだよ
しかもAとBに何か関連性や共通点があるならともかく(例えば某クライナには同情して某レスチナはスルーなのはなんでだよ、とかならおおいにわかるのだが)全く異なる問題と絡めても誰も得しないのだが?
話は戻るが俺はもともとアンチ某ップルとか抜きにしても世の中全体に文化的なモノを軽視したり破壊するのがイケてるみたいな価値観が支配してるのが許せなくてたまらないのだが
これはウヨサヨ共通だし絶対に許さない。
だから楽器とかいろいろ破壊してぺしゃんこにするとかいう演出はたとえCGだとしても許さない。
そういうのが「面白い」という感性の持ち主が許せない。
しかしこれは文化系の人間を比較的「弱者」側とする(体育会系や新自由主義やウヨサヨ宗教政治勢力やチンピラヤクザら暴モ的な価値観と比較しての話)視点から見た場合の立場であって
文化系もまた金持ちボンボン上級国民のブルジョア趣味であったり、パワハラ師弟制の暴力シゴキ修行の世界であったり、というある種の「強者」だという視点から見ると
例えば楽器をやりたかったのに貧乏だから諦めてた人とか、子供の頃に強制的に楽器を習わされてパワハラ体罰シゴキをくらって全人格否定の説教されたりしたトラウマがある人から見れば、
恨みのある楽器どもをブッ潰してくれた某ップルが正義のヒーローに見えて痛快だったのかもしれない。
要するに、「人が大切にしてたものを壊すな!」という批判は、常に大切なものをゲラゲラ笑いながら壊されてきた弱者の立場で考えれば共感できるものの、
しかしそれ言ってた奴らは弱者ではなく強者の立場から「ブルジョワの俺様たちの物を貴様ら底辺の分際風情が少しでも傷つけるとか死刑だゴルァ!」という上から目線を本能的に感じたのだよ。
だから、どちらに共感するかとなれば、どちらとも言えるしどちらとも言えない。