この「AならばBである」、AとかBじゃわかんねえからウンコとゲロに変えると、

ウンコならばゲロであるということはウンコじゃないならゲロじゃない。

「ウンコならばゲロである」と言う場合、たいていは「ゲロではない」と言いたいがためにそう言ってんだよな。

ウンコではない事を前提に。

それを「ゲロである」の結論部分だけ見て「そうかゲロなのか」と誤読する奴が世の中の99%。

日本は識字率が高い国のはずなんだが、わかってる人は「実は日本人の大半は日本語の文字は読めるが日本語の文章は読めない」と見抜いている。

よく問題発言が炎上すると「一部だけ切り抜いて印象操作してる!全体を見ろ!」と言うから全体を見てみたらもっとひでえこと言ってたわ!というのが毎度のパターンなんだけど

「一部だけ切り抜くな」と言うなら「ウンコならばゲロである」という文章を見て「これはゲロである」と読み取ってしまう人々(日本人の99%)に言ってやれよ。

 

例えば「お前がウンコならば、俺はゲロである。」と言うとお前は必ず「kinokocakeはゲロだったのか!自分で認めやがったギャハハはは」という反応をする。

日本人の99%がそう解釈する。

しかしこの文章を見て「俺はゲロである」と解釈したということは、お前のほうこそ自分がウンコであると認めたことになるのだ。

自分がウンコじゃないと言うなら、俺もゲロではないとしなければならない。

しかし逆は成り立たない。

「俺はゲロではない。よってお前はウンコではない。」とはならない。

俺がゲロであろうがゲロでなかろうが、お前がウンコであるかウンコでないかには関係ないのだ。

「俺はゲロではないがお前はウンコだ」が成立する。

最初の文を見て俺をゲロだと解釈したということは、俺がゲロじゃなくともお前は少なくともウンコなのだろうな。