バクチクのボーカル急死はあらゆる面から衝撃的かつ象徴的な事件だった。

俺が音楽に関する知ったかぶりのソースにしてるメディアはだいたいにおいて例外なく90年代を通じて当時全盛期だったヴィジュアル系をジャンル丸ごとバカにして無視して軽視して見下していたのだが

そんな中でBUCK-TICKだけは例外的に認めていた。

まぁBUCK-TICK“だけは”「認める」みたいなそんな上から目線がまたいかにも見下してる感じで鼻持ちならないし

ボーカルの訃報に際しても「バクチクだけはただのビジュアル系とは違う」みたいな、まるでバクチクをダシにしてビジュアル系全体を見下すかのような、バクチクに対してもビジュアル系全体に対しても失礼である自覚がなさそうでありながら悪気もなさそうだから批判もしづらいコメントが多々見られた。

まぁそう言う俺もそういうメディアをソースにしてるわけだからビジュアル系をジャンル丸ごとスルーしてきたのは否めないわけだが

しかしBUCK-TICKLUNA SEAX JAPANらを含めたジャンルだと考えればスルーしてたことで損してたのも否めないよな。

 

そしてここからが本題なんだけど、そういう上から目線が否めないのは前提としながらも、

俺がソースにしてたそういう「ビジュアル系をジャンル丸ごと見下してた音楽メディア」であっても、例外的にBUCK-TICKだけは「本物だ」と認めざるを得なかったのが重要なのだよ。

BUCK-TICKだけは「日本版のオルタナティブロック」であるとして、ボアダムズだとか暴力温泉芸者だとかそうのと並べて語られる存在だった。

「俺が(個人的に)ビジュアル系をバカにしてる」とかいう話じゃないんだよ。

「ビジュアル系をバカにしてるタイプの音楽メディアでさえも、BUCK-TICKだけは認めざるを得なかった」という話。

 

そんなわけだから、ずっと、いつかBUCK-TICKはサブスクでも何でもいいからまとめて聞いておきたいなぁと思ってたんだけど

こういう悲劇をきっかけに聞くようになったというのもなかなかアレなんで、余計聞きづらくなったわ。

なんだかなあ。