これはもちろん許さないんだけど、これ批判してるほうと擁護してるほうで認識がいろいろズレてるから永遠に平行線なんだわな。
ていうか俺が1人だけズレてるのか?
これ批判するほうも擁護するほうも問題は「そこじゃない」んだよ。
まず最も心底どうでもいいんで言及するのすらイヤなんだけど、11万冊破棄した後に自分の本を買わせた件についてはなんともセコいなぁとは思うけど枝葉末節だからな。
なんか「そこ」が最大の問題だと思ってる勢力がいて、そいつらは、この当人と同じくらいに、一生わかりあえる気がせんわ。
そんなもんは捨てたこと自体の罪と比べたら全然たいしたことない。わざわざ言及する価値すらない。
あと何らかの思想的な背景があって政治的な焚書なんじゃないかと邪推するのもアホ臭い。
この人物たぶん右とか左とか関係ないと思うし、右か左かなんてのも「捨てた」という大罪の前では心底くだらないのだが。
認識のズレが深刻だと思うのは、これさあ、学校の図書室の話であって公共の図書館じゃないから保存する機能とか無いんでそこ混同すんなよ?って指摘もあるのね。
実際どうなんだか俺は全く知らんのだけど、何の図書館であるにせよ、キャパの問題とか絶対あると思うのね。
図書館は単に本のタダ読みができる場所ではなく資料を保管する場所でもあると言っても、誰も読まない古い資料を無限に保存できるわけじゃないしそれが場を圧迫して新しい本を置けなくなったらしょうがないんで定期的に断捨離しなきゃならないのは当たり前だと思うんで
それを反射的にけしからん!もったいない!とか騒がれるのは困惑する図書館当事者の話もわかるのね。
俺がイヤでイヤでたまらないのは、そこで「廃棄」という言葉を軽々しく使うのがほんとイヤなんだよ。
その図書館が蔵書を手放さざるを得なくなるのは仕方ない。
でもなんでそれが即「廃棄」になるんだよ。
どこかもっと大きな図書館や博物館に引き取ってもらうとか、何かの施設とかに寄贈するとか、欲しい人にあげるとか、古本屋やメルカリに売るとか(法律とかよく知らんけどそういうの実は違法だから出来なかったりするのかも知らんけど)
どんな形でもいいから世に残そうとはいっさい考えないのか?
もしかすると実はそうしてるのであって焚書のごとく完全にこの世から消滅させたわけではないと言うかもしれないが
はっきり「廃棄」と表現してるんだから燃えるゴミに出したとしか解釈できない。
文字通り焚書だろうが。
今こそ表自戦士の出番なんだが誰も「表現の自由ガー」と騒がないのか?
「まず郷土資料は保存に回します。学校が昔作った文集みたいなものは、その学校にしかありませんから捨てることはできません」←この部分だけはかろうじてマトモな点で、普通こういう発想する人はまず真っ先に郷土資料や文集を「ローカルすぎて無価値」として廃棄するからな。
近い将来必ずこの人のほうがマトモだったと再評価される日が来る(要するにこれから先は必ず日本中の全ての図書館で希少な郷土史料とかを真っ先に捨てるタイプの人物が起用されて持て囃されら時代になると俺は言ってるんだからな)と予言しておこう。
そういうのと違って商業出版された本はそれほどレアでもないかというとわからんぞ。
今ではその図書館に残ってたのが最後の一冊だったなんてことが絶対ないとは言い切れまい。
「そこの図書館にとっては不要な本だから、廃棄してこの世から消滅させてしまってもかまわない」というその発想がムカつくんだよ。
本とか資料ってのは、自分にとっては不要でも世界のどこかにそれを必要としてる人がいるかもしれないんだよ。
ていうか誰も必要としてなくても捨てていいことにはならないんだが、そういうのいくら言ってもわかんねえ奴には一生わかんねえのな。
こういうこと言ってるとお前はよっぽど本に思い入れあるのかとか言う奴がいたらそいつも絶対に許さない。
俺は個人的には全く本なんか読まないし何か知りたい事があったらスマホでチャチャっと調べればいい派だよ。
俺が個人的に本が好きとか嫌いとかの話はいっさいしてないんだが、自分にとって興味無いものはこの世から消してもいいとかそういう発想を許さないと言ってんだよ。
それがわからないって事はお前も本を燃やして人も燃やすファシストなんだよ。
だからこの人物の浅い言い分にムカついたからって「本は全部置いとけ!」とか言うのは違うし、「本は全部置いとけ!」とは言ってないのに「棄てるな」と言っただけで「学校図書館と公共図書館の違いもわからないんですかあニチャアアア」とか言ってる奴も違うんだよ。
置ききれなくなったら手放していいけどこの世から消すなと言ってんだがそれすら理解できないのか?