大丈夫そうに見せかけて実は大丈夫じゃない。

あるいは大丈夫じゃないからこそつとめて大丈夫そうなふるまいをするよう心がけてなきゃ本当に心が壊れてしまいそう。

ここ1ヶ月くらいあまりにも展開が早すぎてな。

今はいろいろバタバタしてるから目の前の用事を片付ける事に集中してツラい記憶が蘇えるのを防いでられるけど

ひと段落ついてヒマになったとき今まで心の奧にしまってたいろんな思いがドーンときて激しく鬱になりそうでヤバい。

いろんなエピソードがあるんだけど、他人にとってはどうでもいい話なんだが誰に読ませるわけでもなく自分のためだけにここで一気にそれを話すことによって気持ちを整理しつつ忘れないように記録しとくのもやってみたいのはヤマヤマなんだけども

話がパーソナルすぎてこのアカウントがどこの誰なんだか特定されやすくなりそうでヤバい。

この、ここ最近の個人的な出来事の数々を通していろいろ考えてる思考は、

まぁだいたい前々からいろんな所で話してきたのとだいたい同じような内容を実体験を通すことによってよりリアルに強化されたわけなんだが

まずひとつに、個人の問題は同時に社会全体の問題でもあるということ。

少子高齢化社会とか老老介護とかブラック企業とかクソ新自由主義とか、前々から興味ありつつ激しく怒りをもってはいたが、自分の身にふりかかるとまた一段と重みを増してくるというかなんというか。

そしてもうひとつ、普段は非科学的なオカルト案件は(好きではあるのだがそれとこれとは別として)絶対に信じない主義かつ、信じてる奴を徹底的にバカにしてやらなければならない主義という、それは自分の中では完全に正論なんだけど

やっぱり身近な人のタヒが絡むとどうしてもオカルト的な案件の実在を信じざるを得ない、地味だけど不思議なことが次々と起きてくるわけ。

それらと関連して、やはり今までの自分は、あれほど批判してきた90年代サブカル育ちならではの冷笑思考が自分の中にも根深く染み付いてたんだなってのがよくわかった。

人間の愛とか優しさとかそういうものを「クセェwwwww」と嘲笑い、「そんなものは無いのだ、人間の本質は邪悪なのだ」とニヒルを気取るのがCOOLだと勘違いしたクソ野郎のまま全然成長してなかったんだな。

そんなものは「甘え」だと決めつけて冷笑ぶりっこするほうがむしろ「甘え」なんだよ。

しょせん人間の本質は悪でありこの世は地獄なのサなどと言って逃げるのは楽チンだもんな。

人間には愛や優しさがあり、それによって社会が回ってるという世界観は、甘えたお花畑思考のように見せかけて、実は逆にそっちのほうこそ厳しい現実主義なんだよ。

人の愛や優しさを裏切る事は許されないわけだから。

そこから逃げようとする冷笑主義のほうこそ「甘え」なんだよ。

やはりいつもの「甘えるな!現実を見ろ!」が結論なんだけど、それを言う相手は「今までの自分」なんだ。

ほんといつまで甘えてるつもりなんだよ俺は。