みのファミリーと演歌と俺のファミリーとビートルズその他

https://youtu.be/pG75e0_E3LQ?si=7kYXbXAinN3wpMFF

https://youtu.be/JcSxLTaX4Ik?si=1t5oFG2ZEUZGBn7e

https://youtu.be/BhSNg7Hcl60?si=Xb7A2o3HZt40nUYe

 

みのパパ

みのママ

そして演歌の真実

 

なんでこういう並びになったかというと、うちの両親はみのパパママよりずっと上の世代なんだけどさ、

どうにかこうにかエルビスプレスリーからベンチャーズくらいまでは知ってたっぽいのね。

でもビートルズストーンズあたりの時代になるとピタッとそういう系統の音楽に興味無くなったっぽい。

昭和の時代は、成人・就職・結婚あたりを境にそういう「若者」っぽいカルチャーからはバシッと完全に「卒業」して、「大人」の仲間入りしなきゃならないのが「当たり前」だったんだな。

そして音楽に関しては、これはうちの両親だけじゃなくその世代の圧倒的多数がなぜか「演歌以外は受け付けない体質」になっちゃうわけだよ。

そのすぐ下(かつ俺らよりは上)の世代からはその圧倒的な「大人になったら演歌しか聴くな」という圧力への反動か逆に「演歌は、ていうか1ミリでも演歌とか歌謡曲っぽい要素がある曲は、全てダサイ」として徹底的に忌避するようになる。

しかしそのへんの世代が好んで聴いてたフォークとか(今でいう)シティポップ、当時の呼ばれ方でいうと「ニューミュージック」だな、

それらも今聴くとけっこう演歌/歌謡曲っぽいセンスが抜けきれてなかったりもするんだけど。

よく言われるように「演歌は日本の大衆音楽の王道ヅラしてるけど実は60年代末に生まれて70年代頃にちょっと流行った一時的な流行にすぎない」ってのがまあほぼ実態としては正しいのだろうけど

そう言われるとそれはまた、戦前の「古賀メロディ」とかそういうのも完全に演歌だし、アイドル全盛期の80年代も、ヒットチャートの上位になったりレコード大賞みたいなの受賞したりするのはだいたい演歌だった。

八代亜紀細川たかし都はるみ五木ひろし、森進一、大川栄策吉幾三テレサ・テン、そういう顔ぶれがチャートの常連だった。

ニューミュージックに代わる「Jポップ」なる概念が出現してチャートを席巻し、演歌はチャートの主流から消え年寄りだけのカラオケヒットがアンダーグラウンドのシーンで歌い継がれるもの、っていう構図が定着したのはピッタリ「平成」になってからであって

(平成にも「孫」とかたまに演歌のメガヒットはあったが)

要するに演歌ってやっぱり「昭和」という時代を制覇した日本大衆音楽の王道ではあるんだろうなと思う。

そのへんは人によっていろんな説があるだろうから一概には言えないが、

ずっと不思議なのは、ほんとにある特定の世代だけ頑なに演歌以外の音楽はいっさい受け付けない体質の人がいるのはなんでなんだろうなというのがほんとに不思議で。

なぜだか理由が不明で不思議ではあるんだけどそれは事実であり、特定の世代だけかもしれないがとにかく「演歌は日本の心」という洗脳?は凄まじい勢いで根を下ろしてるわけだから

それはどんなに客観的なデータを示して「演歌は一時的な流行にすぎなかった」と証明しても絶対に超えられない魂レベルの壁がある。

 

また個人的な話なんだけどさ、総四季(仮)で久しぶりに会った母方の親戚も、「若い頃はダンスが好きだったんだよ」とか、

いかにも典型的な田舎のお婆ちゃんのイメージしかなかった我が母の意外な過去を教えてくれたし

意外ってのは周りから見てたぶん意外だろうなって意味で俺にとっては意外でもないよ

子供の頃に本人からよく聞かされた話では、たぶん50年代から60年代初頭の話だと思うんだけど、

昔はよくあちこちで、外国の音楽番組かなんかから拾ってきた歌唱シーンを上映するフィルムコンサートみたいなのやってて、そういうのに通って海外のヒット曲を知ったんだとか話してくれてた。

俺が中学くらいのときチェッカーズからの影響でそのへんの時代のオールディーズとか興味持ってよくラジカセで流してたから懐かしそうにそういう話をしてくれてたな。

そのへんの話をもっといろいろ聞いておくべきだったと激しく後悔して泣きそうになるよ。

CDの時代になってエルビスプレスリーのベスト盤(それも正規のじゃなくよくホームセンターのワゴンとかで売ってる著作権的に怪しいわりに某ャスラックのロゴだけはちゃんと付いてる謎CDな、カセット主流の時代から一般人が買う音楽メディアはだいたいそれで正規のレコードを買うのは一部の音楽マニアだけだったんだぞ)

を買ってきて、69年のサスピシャスマインドだけは「これは知らねー」と言ってスキップしてたのは「やっぱりな」と思った。

いとこの兄ちゃんが赤ちゃんのころ坂本九に頭なでられた話は何度もしたな。

加山雄三はかっこつけてるから嫌いだったとも言ってた。

サイモン&ガーファンクルのサウンドオブサイレンスを聞いてたら「これビートルズだっけ?」とか言ってたからそのへんの時代になってくるとゲームハードをなんでもかんでも「ファミコン」と呼ぶオバチャンマインドになってきてガイジンの歌はなんでもかんでも「ビートルズ」だったのかもしれない。

ポールアンカとかニールセダカとかコニーフランシスとかそういう頃までだろうな、「ビートルズとかそのへんになると興味なくなってきたからわからない」と明言してたけどなぜかキャントバイミーラブとイエローサブマリンだけは知ってたな。

俺は中学の頃は家にいる間は寝てるとき以外たやさず常にビートルズの曲を流しながら生活してたから。

ディグイットの最後の裏声トークで爆笑してたな。

親父は母以上に演歌体質なんだけど、やはり俺が中学の頃にビーチボーイズのヘルプミーロンダを流してたら「こういう感じの音楽を聞くとカーチャンとはじめて会った時の頃を思い出すな」とか言ってた。

スウィンギンブルージーンズのヒッピーヒッピーシェイクも当時聞いた事があるっぽい反応してた。

両方とも、アニマルズは知らなくても尾藤イサオのカバーのほうは知ってて「♪だーれのせーでもありゃしないー」とか鼻歌歌ってた。

仕事から帰ってくると岡林の「♪今日のー仕事はつらかったー」も鼻歌してたけどあの曲はまあ半分演歌みたいなもんだしな。

「帰ってきたヨッパライ」は当時レコード買ってたけど捨てちゃったとか言ってたけどあれは国民的面白ヒットとしてだろうな、俺が中学の頃も「俺ら東京さ行ぐだ」を買ってきて喜んでたからそういう流れだろうな。

その流れでいくと音楽じゃないけど90年代以降はうちの両親世代はだいたいみんなカーステで流すのは音楽じゃなく綾小路きみまろトークだったな。

ほんとつくづくあの世代ってみんな演歌ときみまろが好きなんだよな。笑

これも何度も話したけど俺が幼稚園くらいの時に親と車で出かける時はいつも当時流行ったコミックソングのコンピレーションみたいなカセットを流してて

デンセンマンの歌とかそういうのが並んでんだけど、その中でも俺が特に大好きだったのは「河内のオッサンの歌」で、それ聞くと幼い俺(まだ言葉もろくに喋れない頃だったと思う)がキャッキャ喜ぶから嬉しそうにいつも聞かせてくれたんだけど

なぜか毎回必ずある特定の曲が始まる前に「これは子供は聞いちゃダメ」とか言って早送りしてたんだよな

ずっと後年になってそのカセットを再発見したら憂歌団「おそうじオバチャン」なぎら健壱「悲惨な戦い」が収録されてたから、たぶんそのへんだろうな。

うーん、あと、いつだったかテレビでビートルズ来日の時の映像が流れたときの親父の反応は、そのときはじめて長年の謎が解明したかのように、「あーあー、あのころ若い兄ちゃん達が急にみんな髪伸ばしはじめたのは、このせいだったのか!」とやっと気づいたみたいだった。

NHKエドサリバンショーのまとめみたいな番組やってたとき、ヤングラスカルズ(曲はグッドラビン)が出てきた時

「おーモンキーズか。この人ら今何やってんだっぺな」とか言ってたから、親父にとっては「何でもかんでもファミコン」の音楽版は「何でもかんでもモンキーズ」だったんだろうな。

 

ふーう。

みのファミリーと違って音楽は(演歌のカラオケ以外は)ほぼほぼ興味無かったうちの両親の、こっち方面の音楽に関する思い出は、せいぜいこのくらいかな?

後で思い出したらそのつど追加するわ。

 

母は亡くなり、父もヤバそうだし、こういう小さな思い出も大切に記憶しとかないとな。

「個人的な問題は同時に社会全体の問題でもある」の法則を発動すると

こういうひとつひとつは別にどうってことない面白くもない地味ィ~な個人的な思い出にすぎないエピソードも、国民1億人なら1億人ぶん集めれば、それは貴重な歴史の証言なのだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

※追記

 

あああ~ さっそくもういっこ思い出した

母ちゃんなぜかレイ・チャールズはだいぶ昔に若くして亡くなったもんだと思い込んでたんだよ

それたぶんサム・クックオーティス・レディングと人違いしてたんじゃないかと思うんだ。

まぁ昭和の日本人には黒人さんはみんな同じに見えたんだろうな。